大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)2457号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人

上野勝

里見和夫

甲田通昭

川崎伸男

被告

乙山太郎

乙山一郎

乙山月子

右三名訴訟代理人

荻矢頼雄

中本照規

山本恵一

上杉一美

主文

被告等は、原告に対し、連帯して、金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五五年四月二五日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の、その余を被告等の各負担とする。

この判決は、原告が金一〇〇万円の担保を供するときは、第一項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  被告等は、原告に対し、連帯して、金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する昭和五五年四月二五日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決及び仮執行宣言

二  被告等

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和三一年四月三〇日、父甲野満、母甲野雪子の長女として生まれ、大阪府八尾市立(現大阪府立)○○高等学校卒業後、昭和五〇年四月、○○○○株式会社大阪支社に就職し、総務部経理課に勤務していた。

(二) 被告乙山太郎は、父同乙山一郎、母乙山月子の次男として生まれ、関西大学法学部を卒業後、昭和五〇年四月、右同社大阪支社に就職し、営業二部一課に勤務していた。

2  婚姻予約の成立

(一) 原告と被告太郎とは、同時期に入社した者の親睦会である同期会の会合等を通じて口をきくようになり、昭和五一年六月ころから婚姻を前提とした親密な交際を始め、同年七月ころ、被告太郎が原告に婚姻の申込を正式にし、原告はこれを承諾した。

(二) そして、被告太郎は、同年八月ころ、当時の原告方に赴き、原告からその両親等に婚約者として紹介され、以後、何回となく同家を訪れるようになつた。

(三) 被告太郎は、同年一一月二〇日すぎころ、原告に婚約の証として指輪を贈つた。また、このころ、被告太郎は、その上司阿部課長に仲人の依頼をしたが、同課長に被告太郎の両親の反対を理由に仲人となることを断られたため、原告の親族である丙野実夫婦に仲人を依頼することとなり、同年一二月一一日、原告方において、丙野実夫婦の出席を得て、原告と被告太郎との間の結納の儀式をとり行つた。

3  婚約の破棄

被告一郎、同月子(被告一郎等ともいう)の行為

被告一郎等は、昭和五一年九月ころ、被告太郎から原告との婚約を報告され、当初はこれに賛成していたが、後、原告がいわゆる被差別部落の出身であることを知るや、原告と被告太郎との婚姻に反対し、これの成立を妨害した。即ち、

(1) 被告一郎等は、昭和五一年九月下旬ころ、被告太郎が電話で原告を連れて名古屋市の被告一郎方に帰省し、婚姻の相手として紹介する旨を申し出た際、原告がいわゆる被差別部落出身であることを知るや、猛然と、婚姻に反対し、被告太郎が原告を連れて帰ることを思いとどまらせ、原告との面会を拒否した。

(2) また、被告一郎等は、同年末に帰省した被告太郎に対し、「原告と結婚すれば戸籍が汚れる」とか、「妹の結婚の場合支障になるのを考えないのか」等と述べ、原告との婚姻に反対した。

(3) 更に、被告一郎は、昭和五二年二月ころ、大阪を訪れ、原告と面会したが、その際、「常識では差別がいけないと判つているが、感情ではついて行けない」と、婚姻に反対である旨述べている。この被告一郎の来阪は、原告に対し、被告太郎との婚姻を諦めるように説得するのが目的であつた。なお、被告一郎は、この機会に原告に対しショルダーバッグを買い与えているが、極めて唐突な行動であつて、原告への厚意の表れとは到底理解できない。

(4) 前同年二月ころ、被告太郎が仕事中に交通事故に遭い、そのため被告一郎方に帰つたことがあるところ、被告一郎はこの時も、被告太郎に対し、原告との婚姻を断念するよう説得したし、その後も被告太郎に電話をしたりして、原告との婚姻を断念するよう説得し続けた。

(5) そして、被告一郎等は、同年四月一一日、被告一郎の妹である鈴木鈴代、同女の知人鈴木正文及び被告太郎を伴つて原告方を訪れ、原告やその両親に対し、「一緒にさせると乙山家の発展にさしつかえる」、「この結婚は絶対許さない」等申し向け、原告と被告太郎との婚約を破棄する旨告げた。

(6) なお、被告一郎等は、原告と被告太郎との婚姻に反対した理由として、乙山家代々の信仰の的である御嶽山の先達に占つてもらつたところ、性が合わないとの結果が出たこと及び高嶋易断に八卦を立ててもらつたところ大凶の相性と出たことを掲げ、原告の被差別部落出身が理由ではないというが、最近では、部落解放運動の高揚、同和対策事業特別措置法の制定とこれに伴う啓発運動の進展によつて、婚姻に反対する理由として直截に被差別部落出身であることが打ち出されることはむしろ少なくなつており、表向きの反対理由としては、占い、八卦等の結果が持ち出されることが多くなつているのである。それに、占いや八卦の結果は極めて非科学的なものであり、本件でもこれのみを理由に激しい反対の意思を形成したとは到底考えられず、被告一郎等が原告と被告太郎との婚姻に反対した本当の理由は、前記のように原告が被差別部落出身であることにあつたというべきである。

(二) 被告太郎の行為

被告太郎は、原告と婚約し、被告一郎等の反対にあいながらも、昭和五一年一〇月の段階では、被告一郎等が部落差別を理由として反対していることを態度で示し、同被告等と親子の縁を切つてでも原告と婚姻する旨思い詰めていたが、昭和五二年二月ころから徐々に両親の差別意識に迎合し、従前の態度を変更するようになり、結局原告との婚約を不当に破棄するに至つた。即ち、

(1) 被告太郎は、昭和五二年に入つてから、従来の両親と親子の縁を切つてでも婚姻するとの姿勢を崩し、更に、徐々に原告との婚姻の意思を失い、同年三月二八日には、突如、原告に対し、「四年間結婚するのを待つてくれ」、更に「友達を捨てたくない」とか、「自分にも妹がいるし、妹の結婚問題にもさしつかえる」等申し向け、原告に被告太郎との婚姻を諦めさせようとした。

(2) また、被告太郎は、そのころ、原告に対し、「親と縁を切つて自分一人で来てくれるんやつたら良いけど」と申し向け、原告が「子供ができても親に会えないということか」と尋ねると「もちろんそうだ」と答えた。その後、被告太郎の原告に対する応待は、ますます消極的になつたのであつて、事態の好転を窺わせる気配は全くなかつた。

(3) そして、被告太郎が、同年四月一一日、原告方において、原告との婚約破棄を告げたことは、前記(一)(5)のとおりである。

4  被告等の責任

(一) 被告一郎、同月子の責任

被告一郎等は、原告がいわゆる被差別部落出身であるとの理由から、原告と被告太郎との婚姻を何が何でも不成立に終らせようと意図し、事あるごとに婚姻に反対すれば、被告太郎が婚約を破棄する等して、右婚姻が不成立に終ると考え、前記3(一)記載の行為に出て、右婚約の実現を一貫して妨害したものであり、故意による不法行為の責に任ずべきである。

(二) 被告太郎の責任

被告太郎は、自ら強く望んで原告と婚約しながら、原告が被差別部落出身であることを理由とする被告一郎等の反対を容認して、婚約を一方的に破棄するに至つたもので、これも、被告一郎等の行為と同様に部落差別に基づくものといわなければならない。そうであれば、被告太郎は、債務不履行としての婚姻予約不履行又は婚姻予約による生活関係ないし期待権の侵害として故意による不法行為に基づく損害賠償義務を負う。

5  損害

(一) 原告は、被告等の差別行為により、死にも等しく回復し難い精神的苦痛を蒙つたばかりでなく、本件差別により、昭和五二年九月二六日会社を退社せざるを得なかつた。

このような原告に生じたすべての損害を一括して慰藉料として算定するならば、少なくとも一〇〇〇万円を下らない。

(二) 原告は、本件訴訟を原告代理人等に委任し、弁護士費用として一〇〇万円を支払う旨約した。これは、本件不法行為ないし債務不履行と相当因果関係のある損害である。

6よつて、原告は、被告一郎、同月子に対しては不法行為による損害賠償として、被告太郎に対しては債務不履行或いは不法行為による損害賠償として、いずれも連帯して、慰藉料一〇〇〇万円及び弁護士費用一〇〇万円並びに右慰藉料に対する履行期到来後の昭和五五年四月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1請求原因1の事実は認める。

2同2(一)の事実については、原告と被告太郎とが同時期に○○○○株式会社に入社し、同期会の会合等を通じて口をきくようになり、昭和五一年六月初旬から、交際を始めたこと、被告太郎と原告とがそのうち婚約したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 同2(二)の事実については、被告太郎が原告方に赴き、原告からその両親等に紹介され、その後何回となく原告方を訪れるようになつたことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、被告太郎が原告の両親等に紹介されたのは同年七月末ころである。

(三) 同2(三)の事実については、被告太郎が、同年一一月二〇日、原告に婚約の証として指輪を贈つたこと、原告の親族である丙野実夫婦に仲人を依頼することになつたこと、その後、原告方において被告太郎と原告との間の結納の儀式がとり行われたことを認めるが、その余の事実は否認する。なお、丙野実夫婦に仲人を依頼したのは原告の父甲野満である。また、結納の儀式がとり行われた日は昭和五一年一二月一二日である。

3(一)  同3(一)の前文の事実については、被告一郎等が原告と被告太郎との婚姻に反対したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(1) 同3(一)(1)の事実については、被告一郎等が右婚姻に反対したことは認めるが、その反対の理由は否認する。被告一郎等が、反対した事情及び理由は、後記(三)のとおりである。

(2) 同3(一)(2)の事実については、被告太郎が昭和五一年末ころ帰省したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 同3(一)(3)の事実については、被告太郎が昭和五二年二月ころ、大阪を訪れ、原告と面談したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 同3(一)(4)の事実は否認する。

(5) 同3(一)(5)の事実については、被告一郎が、その妹鈴木鈴代、同女の知人鈴木正文及び被告太郎とともに原告方を訪れたこと、原告と被告太郎の婚約を破棄する旨を告げたことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、被告一郎が原告方を訪れた日は昭和五二年四月一七日である。また、婚約破棄に至つた事情は後記(三)のとおりであり、その責任を被告等に帰することはできないものである。

(6) 同3(一)(6)の事実については、被告一郎等が、原告と被告太郎との婚姻に、乙山家代々の信仰の的である御嶽山の先達に占つてもらつたところ性が合わないとの結果が出たこと及び高嶋易断に八卦を立ててもらつたところ大凶の相性と出たことを理由に反対したことは認めるが、その余は否認する。

(二)(1)  同3(二)前文、同(1)及び(2)の事実は否認する。

(2)  同3(二)(3)の事実については、(一)5のとおりである。

(三)  被告一郎、同月子の婚姻に対する反対並びに婚約破棄に至る事情

被告太郎は、昭和五一年九月下旬ころ、被告一郎に電話を通じて、「同年一〇月一〇日、一一日の連休を利用して、結婚しようと思つている女性と二人で、ドライブして帰省し、その女性を紹介する。その女性は河内の生まれだから言葉が汚ないけれど気にしないで欲しい。その夜はナゴヤキャスルホテルに二人で宿泊する」旨連絡して来たので、被告一郎等は、次の理由で反対したのである。

(イ) 被告太郎と原告が婚姻することを前提として被告一郎等に面会に来るというのであれば、原告の両親も一緒に来るべきこと、

(ロ) 正式に婚姻の話が成立していない段階において、被告太郎と原告が二人でホテルに泊まるのは穏当ではないこと。また右の如き行動を許容する原告の両親の考え方にも賛成できないこと、

(ハ) 嫁入り前の娘である原告を被告太郎の車に同乗させて大阪から名古屋に向う途中、万一、交通事故に遭つたら大変な事になること、

(ニ) もともと長男から順番に婚姻させようと考えていたのに、次男である被告太郎が長男より先に婚姻するのは妥当でないと判断されたこと、

(ホ) 長男は勤務上、名古屋に住めないので、被告太郎を何とかして名古屋に住まわせ、同被告の妻も名古屋近在の人の中から選びたいと考えていたこと、

右のような反対理由が保守的、封建的な考え方であるか否かは別として、そのような考え方は世間一般の両親の立場として極く自然の感情であり、何ら批難されるべき筋合いのものではない。

原告は、被告一郎等が反対した理由は原告が被差別部落出身であることを理由とする旨主張するが、昭和五一年九月下旬ころにおいて被告一郎等は原告が被差別部落出身である事実を被告太郎より知らされておらないのであるから、かような理由で反対することはあり得ないことであるし、被告一郎等が同年一〇月初めに、被告太郎から原告が被差別部落出身であることを知らされた後においても、原告が被差別部落出身であることを理由として原告と被告太郎との間の交際や婚姻に反対したことは一度もない。

被告一郎等は、さきに挙げた理由から原告と被告太郎との婚姻に反対したものの、できることなら被告太郎の希望に沿いたいと考え、右反対の意思表明をした同年九月下旬ころの数日後、被告太郎に電話で原告の名前と生年月日を問い合わせたうえ、乙山家代々の信仰の的である御嶽山の先達に被告太郎と原告との間の相性を占つてもらつた。その結果は、「性が合わない、泣きを見ること目に見えている、よく言つて聞かせよ」とのお告げであつた。しかし、被告一郎等は、右のお告げのみで被告太郎の結婚問題を諦めさせようとはせず、更にいい結果が出ることを期待して、その数日後、高嶋易断心誠館総本家の高嶋兼山を訪ね、八卦を立ててもらつた。その結果は「大凶の相性なり、結婚の件については大凶の卦にて、調うとも後日破談となる、よつて婚姻は控えるべし」というものであつた。

被告一郎等は、自らが深く信仰する御嶽山の先達に被告太郎と原告との間の相性が悪いと判断されたうえに、易の権威者である高嶋兼山にも大凶と宣言されたがために、被告太郎の結婚問題について当初自分等の反対した判断が間違つていなかつたと思うに至り、反対の態度を堅持することとなつた。

御嶽山の信仰や易を全く信じない者が、被告一郎等のような考え方を一笑に付することは極めてたやすいことであるが、これらの信仰、思考様式を持つ者にとつては前記の占いの結果が、意思形成の動機になつたり、行為規範を定立する基礎になる等、重大な意味を有することは、明らかである。従つて、被告一郎等が右のような信仰、思考様式に基づいて被告太郎と原告の婚姻に反対(後に反対の態度を和らげたが)したこと自体を批難することはできない。

ところで、被告太郎は、昭和五一年九月初旬に原告から、原告が被差別部落出身であることを打ち明けられて、それまで全然関心のなかつた被差別部落問題に強い関心を抱くようになり、同問題の書物も数冊読破して関心を高めていたときに、前記のとおり被告一郎等から婚姻を反対されたこと、しかも以前に被告一郎に対し、原告は河内の出身だから言葉が汚ない旨打ち明けていたため原告が被差別部落出身であることが判り、これを理由に被告一郎等が反対しているものと馬鹿げた妄想というべき誤解をするに至つた。そこで、被告太郎は、昭和五一年一〇月初め帰省した際に被告一郎から占いの結果など前述の理由から婚姻に反対され、同被告と意見が対立したまま別れ、その足で原告方に赴き、その父から「被告一郎に原告が被差別部落出身だから結婚はだめだと言われたでしよう」と尋ねられるや、前記誤解もあつて、占いの件等を口に出さなかつたばかりか、反対を受けても婚姻するのだからという安易な考えで、つい右質問にうなづいてしまつたのである。

被告太郎の右態度が、原告等に対し、被告一郎等において被差別部落出身の事実を理由に婚姻に反対しているとの疑念を抱かせる結果となつたが、その疑念は全く事実に反することである。

被告一郎等は、右のように占いの結果等の理由で被告太郎と原告との間の婚姻に反対していたが、その反対にもかかわらず、被告太郎が、昭和五一年一二月末から昭和五二年の正月にかけて帰省した際、被告一郎に対し原告と一度会つてくれと切望するので、同被告はその熱意にほだされた形でこれを了承した。そして、被告一郎は、昭和五二年一月末ころの日曜日に大阪に赴いて原告と対面し、大丸百貨店において原告に対し、ハンドバッグをプレゼントした。これは、被告一郎の反対の態度がやや軟化したことを示すものである。

それに、被告一郎は、原告と対面した後、被告太郎が原告を好きなのであれば暫く様子を見て、どうしても婚姻するということなら、そうするより外はないとまで考えを譲歩するに至つたのである。

そのような状況下、原告の父甲野満は、昭和五二年四月七日、深夜、婚姻話について具体的な進行がないことに業を煮やすとともに、被告太郎と原告とが既に肉体関係をもつたことを知り、酒の勢いも加わつて、一面識もない被告一郎に電話し、「おまえんとこの息子はえらい事してくれた、どうしてくれる、どう謝りをつけるんだ、手の一本も持つて大阪へ来い、それとも大勢して名古屋へ押しかけようか、太郎の首に縄をかけて連れて来い、馬鹿野郎死んでしまえ」等と怒号した。この電話に驚愕した被告一郎が昭和五二年四月八日、被告太郎を呼び戻して事情を問い糺したところ、ここにおいて初めて、被告太郎は、原告と肉体関係を結んだこと、原告の両親がお膳立した結納式を済ませたことを打ち明けた。被告一郎はこれにびつくりしたが、そこまで事が進んでいるのであれば、もはや、原告の両親に頭を下げてでも、婚姻させるほかはないと判断するに至つた。そこで、被告一郎は、原告方に赴くべく、その夕方、被告太郎とともに名古屋を出発し、途中、京都に住む妹鈴木鈴代方に一泊したが、その際、同女から正武館館長鈴木正文に相談するようアドバイスを受けた。

他方、被告太郎は、翌九日、原告の父に会う前に同人が前記電話をかけた事情及び原告の真実の気持を直接聞こうと考えて出社し、原告に会つて、「君のお父さんはこの結婚話をぶちこわすつもりであんな電話をしたのか」と問い詰めたところ、原告はこれを弁護するとともに肯定した。被告太郎は原告の父の前記非礼な電話に加えて、原告がもはや婚姻に執着していない様子だつたので、被告太郎としても原告との婚姻を諦めねばならないだろうと感じるに至つた。その後すぐ被告太郎が同一郎と共に鈴木正文に会い、原告の父の態度や原告の様子一切を説明したところ、同人は、「それではうまく結婚生活ができるはずがない」との意見であつた。そこで、被告太郎及び同一郎は、原告との結婚話を諦め、原告方を訪れることを中止して引返した。

もつとも、被告太郎は、昭和五二年四月一七日、被告一郎、鈴木鈴代、鈴木正文とともに原告方を訪れ、念のために原告がもはや被告太郎との婚姻を考えていないことを確めたうえ、婚約破棄を申し入れたものである。従つて、右婚約破棄は、原告及び原告の父の言動によつてもたらされたものというべく、被告等にその責任を帰することはできない。

4同4は争う。被告太郎が婚約を破棄したのは、一方的且つ不当なものではなく、甲野満及び原告の不当な行為や態度に起因するものである。

5(一)  同5(一)の事実については、原告が昭和五二年九月二六日同社を退社したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  同5(二)の事実については、原告が本件訴訟を原告代理人等に委任したことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  原告と被告太郎の婚約とその破棄

請求原因1の原告及び被告等の身分関係、原告と被告太郎が、それぞれの学歴を経て、昭和五〇年四月に○○○○株式会社に入社したこと、原告と被告太郎が、従業員仲間の同期会の会合等を通じて口をきくようになり、翌五一年六月初旬ころから交際を始め、ほどなくして婚約するに至つたこと、なお、被告太郎が遅くとも同年八月ころ原告方に赴き、原告からその両親に紹介され、以後、原告方へ出入りするようになつて、同年一一月二〇日には、婚約の証として原告に指輪を贈つたこと、更に、同年一二月一二日、原告方において、原告と被告太郎との結納の儀式が行われたこと、しかしながら、被告太郎が、翌五二年四月ころ、被告一郎、その妹鈴木鈴代、同女の知人鈴木正文とともに原告方を訪れ、原告との婚約を解消する旨の申入れをしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

右の間にあつて、婚約成立の時期につき若干の疑義が存するけれども、要するに婚約とは、将来、真実夫婦として共同生活を営む旨の確定的な合意であるから、これに即して後記認定事実に鑑みると、原告と被告太郎との婚約は、昭和五一年八月末ころに成立したものと認めるのが相当であり、この認定を動かすに足るほどの証拠はない。

二  右婚約の前後から破棄に至るまでの経過

1〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告(昭和三一年四月三〇日生)は、入社の翌年である昭和五一年六月上旬ころから、被告太郎(昭和二八年二月二八日生)に誘われるまま同被告と交際するようになり、同年七月中旬ころになると、同被告から「結婚を前提に交際してゆくつもりなので、一度君の両親に会いたい」との申入れを受けた。そのころ、原告は、被告太郎に好感を懐いていただけに、この申入れを喜びはしたものの、同被告の実家が名古屋で代々続いた旧家の酒屋であるのにひきかえ、自分が同和地区出身であることに思いを致し、一抹の不安が頭を掠めた。しかし、原告は、被告太郎の人柄を信頼して、右の申入れに従うことにし、両親にもそのことを伝えて諒解を得た。

かくして、被告太郎は、同年八月八日ころ、原告方を訪問してその母雪子に対し、改めて「原告と結婚を前提に交際したい」との意向を伝え、承諾を得ると共に、靴の小売業をしていた原告の父満の店舗にも廻つて挨拶をした。この時、被告太郎は、原告の父の職業から、原告が被差別部落の出身ではないかと考えたが、別にそれを気にとめなかつた。

(二)  その後、原告と被告太郎とは、ますます親密の度を加え、やがて原告方で食事を共にし、原告の家族とも親しくするまでになつた。しかし、その間にも原告は、自己の身上を被告太郎に伝えていないことを悩み続けていたのであるが、同年八月末ころ、意を決し、電話を通じて同被告に対し「自分が同和地区の出身である」旨を告白した。これに対して被告太郎は、矢張りそうであつたかとの感慨をもらしたのみで、むしろ原告が告白するまで悩み続けたことに同情を寄せた。この理解ある態度に接した原告は、それまでの心の蟠が一挙に解消し、被告太郎との婚姻の決意を確定的なものにした。

(三)  被告太郎は、その後、原告を通じて差別の実態に触れるとともに、その種の書物をひもどくにつけても、この問題を克服して原告と婚姻することを、早急に周囲に対しても明確にする必要があると痛感し、同年九月中旬ころ、その意向を原告側に伝えるとともに、翌一〇月一〇、一一日の連休を利用して同月九日から、原告同伴のうえ名古屋の実家へ帰り、両親に対し原告を婚約者として紹介する計画を樹てて、原告の両親の承諾を得た。

そこで、被告太郎は、同年九月下旬ころまでの間に、電話を通じて父である被告一郎に対し、「今度の連休に結婚しようと思つている女性を連れて行く」旨の連絡をした(この点は当事者間に争いがない)。ところが、間もなく被告一郎から同太郎に対し、詳細な説明を求める電話があり、同太郎としては、原告から被差別部落出身であることの告白を受けていたので、このことも伝えておく必要があると考え、この点にも触れて説明したところ、同一郎は、同太郎を激しく叱責すると共に、右計画の実行及び婚姻に猛烈に反対した(右反対したことは当事者間に争いがない)。その際、被告太郎は、すくなくとも、同一郎が原告の被差別部落出身であることを理由に反対していると受け留め、その夜、事の仔細を原告に電話連絡し、更に翌日会社を休んで原告方へ赴いてその両親に会い、「名古屋の両親が反対しても、結婚する」と、決意のほどを披瀝して安心させた。

(四)  被告太郎は、同年一〇月初め、同一郎に呼び戻されて帰省したところ、同一郎等から再び原告との婚姻に反対され(この点も当事者間に争いがない)、考え直すように強く説得されたものの、却つて、原告が自分の忠告を容れて酒やタバコを断つたほど素直な女性であり、原告が自ら被差別部落出身であると告白したこと、更に自分の収入で生活ができること等を挙げ、婚姻の承諾を取り付けようとした。このようにして、被告太郎は、同一郎との意見が対立したまま、当日帰途につき、その足で原告方へ立寄つたところ、原告の父満から「部落だから駄目だと言われたでしよう」と問われ、これにうなづいたが、両親がいくら反対しても婚姻すると覚悟のほどを示し、その夜は原告方に宿泊した。

なお、被告太郎は、被告一郎への反撥も手伝い、原告に対して両親と縁を切つてでも婚姻すると強調し、自分の生育の地を原告に見せて置きたいとの衝動に駆られ、かねての連休利用の名古屋行に誘い、同年一〇月九日午後から自ら運転する乗用車に原告を乗せて決行し、実家付近や明治村などを廻つた。

(五)  そのうち、原告と被告太郎との仲は、深い関係にまで及んだこともあつて、原告の母雪子の申入れにより、被告太郎は、前叙のとおり、同年一一月二〇日ころ、婚約の証として原告に指輪を贈つたが、それは三二万円もするものであつた。更に同被告は、原告側から結納の儀式を行うと言われて、押しつけがましく、且つ出過ぎた申入れと受け留めて釈然としなかつたが、原告側の設営に従うことにした。かくして、前叙のとおり、同年一二月一二日、原告方において、原告と被告太郎との結納の儀式が行われた。なお、原告の父満は、その頃、同被告に対し、両親の承諾を得るためにも、早く婚姻し子をつくつてしまえばよいと勧めた。

(六)  被告太郎は、原告の両親から、結納の儀式も済ませたことを報告し、被告一郎等を粘り強く説得するように勧められ、昭和五一年の暮から翌年正月三が日にかけて、久し振りに帰省したものの、矢張り被告一郎等から激しく原告との婚姻に反対されるばかりで、原告との仲が深まつていることや、結納の儀式をしたこと等に触れる勇気もなく、僅かに原告に会つて欲しいと持ちかけ、母である被告月子には断られたものの、被告一郎の承諾を得た。それにしても、被告太郎は、このころになると次第に原告との婚姻が重荷になり始め、間もなくして原告方に赴いた際には、「困つた」とか、「説得のしようもない」等と苦悩の表情を示すとともに、弱音を吐き、原告を不安がらせた。また、同被告は、その頃から当時の職場が性に合わないと、もらすようになつた。

(七)  被告一郎は、同太郎の思い詰めた様子に、万一のことを慮つて原告に会うことにし、昭和五二年一月末ころ、来阪して原告と被告太郎の出迎えを受け、三人で食事をし、原告にショルダーバッグを買い与える等したのであるが、その間に原告に対し、「活動しているか」とか、「常識的には判つているつもりでも、感情的にはついて行けない」という趣旨のことを言い、更に「占いでは相性が悪く、不幸になるだけだから、結婚に反対する」とも述べた。被告太郎も側に居て、右の言葉を聞いているのであるが、反論はおろか、反応さえ示さなかつた。

(八)  被告太郎は、その後も原告と交際し、原告方に泊ることもあつたが、結婚の話になるとこれを回避するようになつた。のみならず、同被告は、昭和五二年三月上旬と同月二〇日前後に、被告一郎等の許に帰つているのであるが、その都度、目に見えて原告に対する態度が白々しくなつて行き、同月二一日ころになると、それまで原告方に置いていた衣類を持ち帰り、爾来、原告方へ泊まらなくなつた。この傾向に不安を募らせた原告が、同年三月二八日ころ、意中を確めるため被告太郎に会つたところ、同被告は、「いつ結婚できるか判らない。兄がいるので、次男である自分を先に結婚させることはできないと、両親が言つている。兄が結婚するのは四年位先だから、四年間待つてくれ」と言つたり、婚姻すると「妹の結婚にも差し支える」とまで口走つたし、同年四月三日に原告と彦根へドライブした時も、転職を考えており、そのめどがつく三、四年先でないと結婚できないと告げた。

(九)  右のような状況に接して、原告はもとよりのこと、その両親も、被告太郎が原告との婚約の履行を回避しようとしていると、事態を深刻に受け留め憂慮していた。そこで、原告等は、右彦根へのドライブの帰途、被告太郎が原告方へ立ち寄つた際、同被告の真意を確認する目的で招じ入れ、父満が同被告の心境を尋ねたところ、昼間原告に告げたと同様の答が返つて来たため、満は、立腹して語気鋭く、「話が違うやないか、誠意がない。卑怯者」等と罵り、もう一度考え直すようにと言つて、同被告を帰宅させた。しかし、満は、被告太郎から期待した返事がないのをはじめとし、事態の好転を窺わせる気配がなかつたこともあつて、悲観的になつていた矢先、原告と被告太郎とがすでに深い関係に入つていることを知つて激昂し、昭和五二年四月七日の深夜原告等が制止するのも聞き容れず、電話を通じて被告一郎に対し、「お前のとこの息子はえらいことをしてくれた。どう謝りをつけるんだ」等と激しく罵り、怒りをぶつけた。被告一郎は、事態の急変を知つて、翌八日の午前中に被告太郎を呼び戻して尋ねた結果、被告太郎と原告との間にすでに深い関係が生じていることをはじめとして、婚約の証として指輪を贈り、原告の両親の設営により結納の儀式も済ませたこと等の説明を受けた。そこで、被告一郎は、事態の収拾を図るため、被告太郎を伴つてその日のうちに名古屋を発ち、一旦京都に途中下車して妹鈴木鈴代方に一泊すると共に、同女の紹介により正武館館長鈴木正文に相談することにした。

他方、被告太郎は、翌九日、原告の父満と会う前に、右電話の一件の経緯を尋ねるため原告に会つたのであるが、その際、満の電話が非常識であると言つて批難した。これに対して、原告は、「同被告がちつとも結婚の具体的な返事をしてくれないから悪い」と反論した。被告太郎は、その際の原告の言動から、満も原告も婚約を解消する意思だと一方的に極めつけ、京都に引返して被告一郎にそのように伝え、鈴木正文とも相談のうえ、最終的に原告との婚約を解消する決意を固めた。そこで、鈴木正文が電話を通じて原告と相談し、四月一七日に原告方へ赴くことが決つたので、被告太郎と同一郎は、一旦名古屋へ引き揚げた。

(一〇)  かくして、昭和五二年四月一七日、前叙のとおり、被告太郎、同一郎、鈴木鈴代及び鈴木正文が原告方を訪問し、原告との婚約を解消する旨の申入れをしたのであるが、その際に被告側は、原告と被告太郎との婚姻について、信仰する御嶽山の先達から相性が悪いと判断されたし、占いの結果も大凶であつたと言うことを、解消の理由として挙げた。

以上の認定事実に反する〈証拠〉は措信するに足らず、他に右認定を覆しうる証拠はない。

2そこで、被告太郎と原告との婚約解消の原因に焦点を絞つて検討する。

(一)  先ず、右認定事実によれば、昭和五一年の暮から翌年正月三が日にかけて、名古屋の実家で過した時期を境にして、原告との婚姻に対する被告太郎の取り組み方に、無視することのできない変化が生じていることが看取される。即ち、同被告は、被告一郎等と縁を切り、被差別部落の問題を克服して婚姻しようというほどの積極的姿勢を示していただけに、右に指摘した時期を境として認められる消極的な姿勢が目を惹くのであり、殊に、それ以後の同被告の言動の中に、次第に右の問題が婚姻の支障となるという趣旨のことが登場して来るのであるから、原告との婚姻を回避しようとしていると受け取られても、寔にやむを得ないものがあつたというべきである。

のみならず、被告一郎等と縁を切り、被差別部落の問題を克服してまで原告と婚姻しようと決意していた被告太郎が、逆に、厳しく反対する被告一郎等の意に沿う姿勢を示していること、しかも、その姿勢の一環として、妹の結婚に差し支えると口走つているところ、この差支えは部落差別の問題を措いて考えられないこと、その他右認定の諸事情に鑑みるならば、被告太郎は、原告が被差別部落出身であることを理由として、婚約解消を意図したと推認するのが相当であり、これに反する〈証拠〉は排斥を免れず、他に右推認を妨げるに足る特段の事情等は窺い難い。

(二)  次に、被告太郎の右の態度の変化が、何に由来するかについて考察する。

さきに認定したように、被告一郎は、昭和五一年九月下旬、被告太郎から原告を連れて帰省する旨の連絡を受けて以来、一貫して原告と被告太郎との婚姻に反対を唱えて来たのであるが、その反対の程度は、同年一〇月初め、わざわざ被告太郎を呼び戻し、被告月子とともに、考え直すよう強く説得に努めていること、更に、被告太郎が昭和五一年暮から翌年正月にかけて帰省した際にも、同様にして被告月子とともに、厳しく反対し、このため被告太郎が原告との婚姻を重荷に感じ、弱音を吐く等していること、その後、被告太郎は、被告一郎等との接触が重なるにつれ、原告との婚姻を避けるような姿勢を露呈し始めていることに徴すると、被告一郎等は、単に自分達の意見を表白するというような域を超えて干渉し、それが効を奏したものと推認して妨げないというべく、これに反する〈証拠〉は排斥を免れず、他に右推認を妨げるに足る特段の事情は窺い難い。

そこで、被告一郎の干渉の理由であるが、さきに認定したように、被告一郎は、昭和五一年九月末に近いころ、電話を通じて被告太郎から原告が被差別部落出身であることに触れた説明を受けるや(この段階では、被告等の主張する御嶽山の先達の判断や占の結果は出ていない)、婚姻に猛然に反対していること、しかも、早い機会にわざわざ被告太郎を呼び戻して、考え直すよう説得に努めていることに鑑みると、その婚姻に緊急且つ重大な問題が内在するとの認識に基づくと察せられること、更に、被告太郎が被告一郎等の反対の理由として、原告側に明らかにしている言動は、殆ど原告が被差別部落出身というにあつたこと、被告一郎自身も原告と会つた際に、同旨の口吻をもらしていること、その他さきに認定した諸事情を総合すると、被告一郎等は、原告が被差別部落出身であることを理由として、原告と被告太郎との婚姻に干渉したと推認するに十分であり、これに反する〈証拠〉は排斥を免れず、他に右推認を妨げるに足る特段の事情は窺い難い。

(三)  以上の説示を総合すると、被告等が主張し、且つ、被告一郎及び同太郎等が昭和五二年四月一七日、原告方において婚姻解消の理由として挙げた御嶽山の先達の判断や占の結果は、表面上の口実以外の何ものでもなく、本当の理由は、原告が被差別部落出身であることにあつたと解するのが相当である。

なお、原告の父満の言動が、婚姻解消を顕在化する引金の役割を果したことは否定し得ないが、いわれなき差別から娘を守ろうと懸命の同人が、被告太郎の変貌を敏感に察知して、被告等に厳しく対応するに至たものというべきであるから、やむを得ない所為というべきである。

二  被告等の責任

原告は、被告太郎に対し、婚約を一方的に破棄したとして婚姻予約不履行又は不法行為による損害賠償を、また、被告一郎等に対して、不法行為による損害賠償を各請求するものである。

ところで、婚約の相手方が被差別部落出身であることを理由に婚約を一方的に破棄することはあつてはならないことであり、単に婚約解消の正当な理由とならないというにとどまらず、著しく公序に反する行為と評すべく、婚姻予約上の地位の侵害として不法行為を構成するというべきであり、また、第三者が被差別部落出身であることを理由に当該婚約の履行に干渉してこれを妨害したときは、婚約破棄者と共同して不法行為の責を負うべきものと解さなければならない。

そこで、これを本件についてみれば、被告太郎は、原告が被差別部落出身であることを承知のうえで婚約して置きながら、そのことを理由に反対する被告一郎等に同調して、原告との婚約を一方的に破棄したものであるから、不法行為責任を負うといわなければならない。そして、被告一郎等は、原告が被差別部落出身であるといういわれなき差別を理由に、原告と被告太郎との婚姻に干渉し、ついに被告太郎を翻意させて、原告との婚約を破棄させたものであつて、右婚姻を妨害したというべきであるから、被告太郎と共同して不法行為の責を負うべきである。

三  原告の損害

1以上の説示によると、原告は、いわれなき世の因習のしがらみの中にあつて、被告太郎という佳き理解者と婚約し、天にも昇る気持であつたと思われるだけに、被差別部落の出身ということを逆手に取られて、被告一郎等から同太郎との婚姻に激しく反対され、その結果、被告太郎にも裏切られたもので、被つた精神的苦痛も痛烈なものがあつたと察せられる。しかも、原告は、その本人尋問の結果によると、本件がもとで折角就職した会社をも退職せざるを得なかつたことが認められるのであつて、その精神的苦痛は倍加されたと思われること、更に、婚約破棄の違法性が極めて強いこと、その他、諸般の事情に鑑みれば、右精神的苦痛を慰藉すべき金額としては、五〇〇万円をもつて相当とする。

2原告が本件訴訟の追行を原告代理人等に委任したことは当事者間に争いがなく、本件事案の性質、内容、認容額等諸般の事情に鑑みれば、本件と相当因果関係を有する弁護士費用相当額としては五〇万円をもつて相当と認める。

六  結論

よつて、原告の本訴請求は、慰藉料五〇〇万円及びこれに対する不法行為後の昭和五五年四月二五日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金並びに弁護士費用五〇万円の各支払を求める部分にかぎり理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(石田眞 松本哲泓 河合健司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例